人間だれしも後悔したいと思って人生を送っている人はいないでしょう。
私もそうですし、アメリカで80歳以上の人に「人生で最も後悔をしていることは何ですか?」というアンケートに対する調査結果で7割の人が同じ答えを出したことに考えさせられました。
それは・・・「チャレンジをしなかったこと」だそうです。
チャレンジをすることで自分を納得させられる

チェレンジをしたからと言って、それが人生の成功となり、良い結果を生むとは限りません。
例えば多くの人は子供の頃、逆上がりができるようにチャレンジした経験があると思います。では、そのすべての子供が逆上がりができるようになったでしょうか?
頑張って練習したけど、最後までできるようにはならなかった子、また、何回かは成功したけど、しっかり完成はしなかったというケースもあるでしょう。
実際私の息子も出来るようにはなりませんでした。
努力(チャレンジ)してきたことが実を結ばないということは人生においてままあることではないでしょうか?
でも、旨くいかなかったからと言って、その人生がダメだった、ということにはなりませんよね?
もちろん悲しいし、つらい思いはするでしょう。願いが叶わなかった当初は、それにかけてきた時間と労力、または費用をも無駄だったのではないか?と考えてしまったりもするかもしれません。
それでも、時間の流れと共に傷は癒えてゆき、その時に努力した(チャレンジした)ことは何かしら身になっていたり、または努力したからこそ、己を納得させることもできるものではないでしょうか?
やろうがやるまいが想いは残ってしまう
何かやりたいこと、かなえたい夢があったとして、最初から諦めてしまったらどうでしょう?

諦める原因は様々あるでしょう。金銭的だったり、身体的だったり・・そもそも才能がないからということだったり・・・
例え自分ではどうしようもない理由だったとしても、何もせず、ただ諦めただけの場合と、何かしら頑張ってみたけれどダメだった場合、どちらが納得出来ますか?
後の、未来の自分に誇れる自分でいられるか、(私の場合は、人生の最期にどっちが後悔が少ないか?ですかね(^_^;))考えてみてください。
私は、両親を介護ののち亡くしました。
今でも、自分の介護の方法やその頃の両親へのかかわり方が、本当に適切だったのか、両親は幸せな最期だったと思ってくれたのか、わかりませんし、全く自信もありません。
思い起こせば後悔ばかりです。
それでも、「あの時はああするよりなかったんだ」「あの選択は、間違いではなかったんだ」と思う自分がいることも事実です。
後悔はたくさんあります。でも、私なりにやれることは精いっぱいやったし、両親との最期の数年を笑顔で過ごすことはできました。
チャレンジするってそういうことではないかと思うのです。
チャレンジしてダメだった時より、チャレンジすることすらしなかった方が思いは残るもの。それならやってみませんか?と私は言いたいです。
人生折り返しだからこそ挑戦と冒険を

人生100年時代とはいえ、アラフィフ世代以上になると、残りの時間を意識してしまうものです。
実際に高齢と言われる世代の人達の多くが「挑戦(チャレンジ)しなかった事を後悔している」ならば、年齢を言い訳にしないでチャレンジすることに挑戦してみたいと私は思います。
そう思ってはいても後悔ばかりの私ですが、何もしてこなかったわけではないんです。
結婚して子育てして介護して・・・それ以外にも宝塚の追っかけに青春を費やしてもきました。
追っかけをしていたから、学生最後の卒業旅行に行きませんでしたが、(残念だったかなという思いはありますが)後悔はしてないです。
でも、もっと勉強していけば・・・今頃英語が喋れていたら・・・そんな後悔はわんさかあります。
年齢を重ねたからこそ時間の大切さを心底感じます。
チャレンジすることが大事だと理解できる世代の私たちこそが、挑戦しなきゃ!なんですよね!
神様の想い
何かのドラマなんかで「神様は乗り越えられない壁は与えない」という話を聞いたことがあります。
それもそうかもしれません。
また、「神様は、私たちの成功を願っているわけではなく、神様が願っているのは私たちに挑戦して欲しい、そして冒険して欲しいと願っているのだ」という話も聞いたことがあります。
私は、神様を信じているわけではありませんし、実際にいるのかどうかもわかりません。
それでも、「いてほしい」とは思っているんです。
神様がどうであれ、これは確かにありだなと思うんです。
挑戦も冒険もしない人生に何の価値があるのでしょう
後悔先に立たず
昔の人はうまいこと言ったものです。
今日が一番若いです!
あなたも冒険と挑戦してみませんか(^-^)


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