歳を重ねると、なかなか自分の考え方を改めるのは難しくなります。
生きてきた時間が長ければ長いほど、思考は凝り固まり無意識に思い込んでいることもたくさんあるものです。
だからなのか年嵩の人に対して「頭が固い」「頑固だ」など否定的に感じてしまう人も少なくありません。
人は変化を受け入れてながら生きている
スマホやパソコンが普及して、私たちの日常もほんの数年前と比べても大きく変化していませんか?
電話一つとってみても大きく変わりました。二つ折りのパッカン携帯を使っていた頃、スマホが出始めて私も新しいものに興味はすごくあったけど、画面がむき出しになっていることに抵抗感を感じて、機種変更をするのにためらった時代もありました。
その前はPHSにポケベル、その前は公衆電話、自宅電話に留守電機能が付いたと大喜びしたり、その前はけたたましい呼び鈴の黒電話が当たり前・・・

でも、その時その時で私たち人間はその変化を戸惑いながらもちゃんと受け入れて生きてきました。きっとこれからもそうなのでしょう。
変化を受け入れるための時間
以前、宝塚歌劇団のトップスターに就任したばかりの男役さんのインタビューを聞いたことがあるのですが、その人が「トップスターになって変化はどうですか?」という質問に対して、
「寝て起きてすぐにトップと言われるようになったとしたら、その変化に体はもちろんですがそれよりも心がついていかなかったでしょう。でも、年単位で時間をかけて少しずつトップというものに近づいてきました。だからトップスターと言われる人の重圧も責任をも見て育ってきたんです。そのおかげで、覚悟をもってこの立場に就くことが出来ています」
というお話をされていました。妙に納得出来たのを覚えています。
ドラマや本の世界では、タイムスリップのお話がよくあります。
(余談ですが、私は大沢たかおさんのファンでJINというドラマにかなりハマりました(笑)ああいうお話、みんな惹かれますよね(^O^)/)
いきなり自分が生まれ育った時代とは全く異なる時代に放り込まれたら、その変化に驚愕するでしょう。だからフィクションとしてはより興味深いものになりやすいとも言えますが^^;
でも少しずつ時間をかけて変化した物事には、自分でも気が付かないうちに順応しているんですから不思議なものです。
気づきにくい日常生活の変化を、意識してみませんか?
ところで、あなたは、人と会話するのはお好きですか?
とは言ってもコロナ禍ということで、少しは戻りつつあるとは言っても、まだコロナ前と比べると人とリアルに会って、対面で話をするという機会はめっきり減ってしまいましたよね?
おしゃべり好きな私も、今日は家族としか会話をしてないな~なんて日も珍しくありません。
その家族とも、子供が成長するとともに交わす言葉も、幼いころよりは格段に少なくなったように感じます。核家族化もますます進み、孤立する人が増えていっているのも社会問題となっていますね。
たまに仕事関係の人とZOOMでお話をするくらいで、何とも寂しい限りです。
そんなことに気が付くと、日常のささやかなことから幸せを感じる、ということに気付けたりします。
私はもともとおしゃべりな人間です。
もう成人した我が子たちも、成長過程でもお口が早くて、今は亡き母に
「あんたの子供なんだから当たり前。口から生まれたようなものだものね」
と言われる始末(^_^;)
その時はイラっとしましたが^^;今となっては母を思い出しホッコリする懐かしい思い出です。
事実だから確かに反論できない・・・(;^_^A アセアセ・・・
とにかく私はおしゃべりが大好き♪・・・裏を返せば( 一一)
・・・黙ってるのが苦手!会話と会話の間の止まった時間(間)がダメ~~~~(ToT)/~~~

なんです(-_-;)(でも、この時間が相手の思考をめぐらすことのできる大切な時間でもある、とコーチングを学んだ時に教えられました。)
おしゃべり好きで得したこともたくさんある(明るい・人見知りしないなど)けど、それ以上に損したこと、失敗したことも山のようにあります。
例えば・・
●自分がしゃべりたくてウズウズして、人の話を聞いてない!(相手には伝わるものです(-_-;))
●相手がまだ話してる途中なのに、被せて喋りだしてしまってヒンシュクを買う
●一方的に喋り捲って、相手を疲弊させる
●自己中心的と批判されて、自身の評価を下げる・・etc
会話をする、おしゃべりをするという当たり前と言える行為だけど
普段意識しなくても誰もがしているであろうこの行為ですが、実はとっても大事な貴重な行為だってことに、人と話すことの減ってしまった寂しい時間に気付くことが出来ました。

会話を交わすという事は、その相手、誰かと価値観を共有したり、逆に自分にはない考えを新たに知り得るという点でも、とても有意義なものだったんですよね。
でも、口から一度出てしまった言葉は、過ぎた時間と一緒で、なかったことにはできないものです。
だから「怖い」とも思うのです。
自分が発した言葉が、たとえ自分自身にそんなつもりがなかったとしても、受ける側によっては、相手を傷つけてしまうこともあります。
そのことで、大切な友人をなくしてしまうことだって・・・
気兼ねなくおしゃべりできるというのはものすごく贅沢な、貴重なことなんだなと、様々な経験を経て感じました。
言葉は大切、でも怖いもの。それでも私は話すことをやめたくない
物書きを生業にしている人がこんな言葉を持っていることを聞いたことがあります。
「ペンは人を殺すこともある」
何とも物騒に聞こえる言葉ですが、物理的なことではなく自分が生み出した言葉で誰かを傷つけ、相手が死を選んでしまったりそれを読んだ第三者に害される恐れがある、という意味で、書く人は常にその事を胸に矜持を持つのだ、という事のようです。
だからこそ、私もブログを発信している身として、誤解を与えることなく、自分の思いを相手にちゃんと伝えられる言葉を扱える人間でありたいと思っています。
コロナ禍において、気兼ねのないおしゃべりが難しくなっってしまった今だからこそ、思いをちゃんと伝えることを大切に、このブログと共に向き合っていきたいと思います。
時代の変化に抗うことなく、でも流されるだけでもなく、時間と言葉を大切に人生を実り多く過ごしていきたいものです。


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