忘れる方がいい?取捨選択できる自由があることの幸せ

社会 情報

今日は9月11日。アメリカ同時多発テロが起こってもう20年。

そんな大切な節目の年ですが、あの大きな出来事にもかかわらずこの事件は風化の一途をたどっています。残念なことです。

世界で起こる様々な悲しい出来事

9.11だけではありません。世界では日々様々なことが起こっています。

最近はウクライナとロシアの戦争の話題が常にニュースになる事から、ウクライナの人への支援やロシアとの関係をどうするかの議論は活発に行われています。

でもほんの少し前まではアフガニスタン問題も声高に騒がれていましたよね。9.11はまさにそのアフガニスタン紛争の幕開けとなった出来事でした。

あれからつい昨年、2021年までがアフガニスタン紛争であのベトナム戦争を5か月も上回り、米国史上最長の戦争だったという事をご存じでしょうか。

9.11も民間人が多数犠牲となったあってはならないことではありましたが、その後のアフガニスタン紛争はアメリカ対タリバンという構想色が強く出て、結果当時のタリバンの指導者オサマ・ビンラディンを殺害したことから徐々に報道もトーンダウンしていき、一般人でしかも他国民である自分たちが身近な恐怖を感じることなく過ごしてしまいました。

私自身こうして調べるまで、意識が薄かったことを恥ずかしく思います。

それだけ我が日本という国は平和であり、また今自分が生きている時代が有難いことなんだと実感しています。

でも、ウクライナとロシアの戦争は少し、感じ方が違いました、

日々報道される戦争の映像。そこは間違いなく攻撃されるその直前まで、普通の自分たちが過ごしているのと何ら変わらないであろう日常が送られていた町でした。

私にとって戦争は、どこか遠い昔、「太平洋戦争=戦争」という、過ぎ去った昔の出来事だったのです。

それなのに今、テレビやネット、新聞等で報道されているのは、リアルな、自分たちが生きているこの時間、同じ空の下繰り広げられているもので、信じられない光景がたくさん目に入ってきます。

そして、その戦争で祖国をあとにしなければならなくなったウクライナの人々が、ここ遠い日本にまで逃げてくる現実を目の当たりにして、「対岸の火事」などの場合ではないのだと焦りを感じます。

だからと言って何ができるでしょう。

はやる気持ちはあっても現実には動けないでいる自分。

せめてできることは、自分の幸せな立場を再認識して、丁寧に日々を送る事でした。

でも、今年その平穏さを揺るがす大きな事件が起きてしまいましたね。

そう、安倍元首相狙撃事件です。

ついに日本でも起きてしまった

やはり政治家で長く日本のトップの首相であった人ですから、政治思想を問われての襲撃かと私を含めて多くの人が感じたことでしょう。

ところが実際は、一宗教団体への恨みから起きたことであったと知った時は、「え?」と感じたのを覚えています。

でも結果、それが発端となって政治とその宗教団体との癒着(と言ってしまってもいいかと)、あまりにも多くの政治家にその宗教団体がかかわりを持とうとしていた事実が明らかとなって、連日報道される事態となりましたね。

亡くなった人にムチ打つ、というのはいかがなものかと思いはしますが・・・

それにしても平和だと信じている日本でもこんな大きな(しかも拳銃を使った)事件が起きることに、驚きを感じるとともに、「ついに起きるべくして起こったのか」とも思いました。

言葉は適切ではないかもしれませんが、私も含めて「平和ボケ」な日本に(最悪なものではありますが)一石を投じた形となってしまったことは認めざるを得ない出来事となりましたね。

忘れてはならない、でも、忘れないと生きていけない人もいる

戦争を風化させてはならない、原爆を風化させてはいけない、水害を・・地震を・・・それは本当にそうだと思います。

でも、忘れることと風化させること、ここは似て非なりものではないかと私は思うのです。そうでなければならないとも・・・

解離性健忘症という病があります。

心的外傷やストレスによって引き起こされる健忘(記憶障害)のことです。

これは自分を守るための自己防衛力、心理学では防衛機能と言われるそうです。

そうでもしないと日常生活を送ることが出来ないほどのストレスを抱えた人たちがいることも事実でしょう。

私のような波乱万丈とは無縁と言える平凡な人間でも、両親の死は、時間と共に悲しみが薄れていてくれないと、涙ばかりの毎日になってしまうでしょう。

「忘れなくていい、受け入れるんだ」と何かのセリフで聞いたこともあります。これも必要なことでしょう。なかなかその通り旨く行くとも思えませんが・・・

忘れる事、風化させてしまう事

これは永遠にループのように考えては消え、考えては消えの論争が繰り返される事柄ですね。

積み重ねは宝物

半世紀以上を生きてきた私。それなりの経験も積んできました

もちろん、若くして苦しい大変な思いをされた経験のある方々に比べれば、のほほんとした人生なのかもしれませんが・・

私は自分でも「箱入り娘」だと思っています。

両親の、旦那さんのおかげだと。それがよかったのかどうかは、「忘れることと風化すること」と同じ答えのない問いになりますが(-_-;)

私は特に特殊な技術を身に着けているわけでもなく、平凡が服着て歩いてるってくらいの存在です。

まあそれでも、結婚することも子供を持つことも家を持つこともできたから、何もない平凡、と言い切ってはいけないかもしれません。

その私が少し人と違うかなとい思うのは、子供の教育と住まいにお金をかけた、また、両親がほぼ同時期に介護状態になってしまって、死ぬまで人はお金とは縁のキレない生き物なんだと実感したという事でしょうか。

そこからいろんな情報を探し始め、私の両親では絶対に関わらなかったであろう世界に足を踏み入れてみました。

そこは投資やセミナー、コンサルなど怪しいかもしれない印象を与えかねない分野でした。それでも情報を得ながら取捨選択して、人前で講師をしたり、会社を興したりと、今があります。

報道されることがすべて正しいわけではありません。

だからと言って世の中で怪しいと論じされやすいもののすべてが怪しいわけでもないでしょう。

大切なのは取捨選択できる自由が自分たちにはあり、その責任を負うのも自分自身だという事ではないでしょうか?

昔、箱入りだった私が少し無謀な挑戦をしたいと駄々をこねたことがありました。その時兄に言われた一言が今でも心に残っています。

「しなくてもいい苦労はしない方がいい」

ことわざで「若い時の苦労は買ってでもせよ」というのがありますよね。

でも兄の言葉はその真逆でしたので覚えているのでしょう。

兄としては「かわいい苦労知らずの妹よ。おまえはただ笑って安全な場所にいたらいいんだよ、俺たち家族が守ってやるから」という気持ちだったのだと今は思います。

その時はかなり反発しましたが、今となっては有難い、幸せな娘だったなとも思いますし、あの時応援してくれてたらまた違った人生だったかもしれない、とも・・・

自分で取捨選択したのが今の私の人生です。

選択する自由のある人生が最も幸せであると意識して、挑戦したり冒険したり、はたまた後悔してやり直してみたり、とワクワクした実りある人生を歩いてますか?

たまには真面目に自分の人生を鑑みる時間を取ってみてはいかがでしょう。

 

 

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