アラフィフになると終活を意識する機会が増えるのでは?
そのきっかけともいえるのが「親の終活」ではないでしょうか?
私自身、親の老いを感じるまで全く終活の知識なんてなかったし、考えることもありませんでした・・・
両親とそういう類の話すらしたことがなかったのです。
多くの人が同じではないでしょうか?
今とは違う美徳 言わないこと・教えないことが美
私の親の世代は昭和一桁から昭和二十年前半くらいの年代が多く、大半が子供に人の死に関すること、また、家のお金の話を聞かせるべきではないという常識の時代の中で生きてきたからだと思うのです。
なので私は、親が自分の死に方についてどう考えていたのか、また、親の収入や家のお金がどのくらいあるのかということを全く知らないで生きてきてしまいました。
だからこそ、いざ親が老いて生活を変えなければならなくなった時、困りました(>_<)
全く考えてもいなかったし、家族で話し合ってもいなかったのですから。
そんな能天気な私だったので、親の終活を考えること・・・本当につらかった・・・苦しかった・・・
知らないことだらけで誰も教えてもくれなかったことだらけでした(T_T)
その時に感じたのは「ほんのわずかでも知識があったらここまでてんぱらなくても済んだんじゃないか・・」ということでした。
少しでも知識があったら・・・

当時、私の周りには、介護について詳しい人も経験した人もいませんでした。
私の親は、同年代の友人の親御さんの中でも年代が上でしたし、周りの友人の中で結婚したのも子供を産んだのも私が一番早かったこともあって、私が親の介護に向き合わなければならなかった当初はまだ、友人たちは子育てが少し楽になって、親御さんもまだまだお元気な頃でした。
だから自分のことに時間を費やせる楽しい時期を過ごせている人が多かったんです。
介護や終活って目を背けたい事なんですよね…
実際、現実に家族の身に何か起きないと、考えが向かない事案なんです。
できれば先延ばししたい事だし・・
だから当時介護に苦しんでいた私には、情報も気持ちも共有できる人は誰もいませんでした。
気持ちを共有できる人が欲しかった
もっと親に話を聞いておけばよかった、教えてくれていたら・・と親を恨んだ気持ちも芽生えましたが、前述したように死やお金の話をしないことが美徳とした時代の人です。
そこを嘆いても致し方ないと諦めました。
辛い思いを共有できるはずの兄は海外勤務で、とても心配はしてくれていたけど、現実的に頼ることはできませんでした。
主人はもちろん協力してくれたし、気遣ってもくれていましたが、私自身に主人の実家への負い目がありました。
当時すでに義父は亡くなって、義母が田舎で一人で暮らしていました。義母と実母は同い年。
主人は一人っ子でしたから、状況は違えど自分の親の介護のことをそうそう主人に甘えてばかりもいられませんでした。
そんな時、誰かと気持ちを共有できていたら、どんなにか救われただろうかと考えます。
一度だけ、その気持ちに押しつぶされて吐露したことがあります。
その相手は、やっぱり「兄」でした。
遠い地で何もできないというもどかしさを本人も感じていたのでしょう。
電話で話していた時、「そんなこと言っても俺は何にもしてやれないから」と言われた一言に私の中の何かが切れちゃったんです。
思わず電話口で叫んでいました。
「そんなことはわかってる!!ただ聞いてくれるだけでよかったのに!」
受話器をたたきつけて電話は切れました。
後日、兄から電話があって
「悪かった。何でも聞くから」って(^_^;)
そんなこともあったなあって今は懐かしく語れますが、『その時』は、ほんとに泣いてばかりの日々でした。
終われば全てが尊い経験となる
「明けないけない夜はない」でもね・・・
と言いますが、確かにそうなんですよね。時間が解決してくれます。
でもそれって、親を亡くすということでもあるから(今の私のように)やっぱり寂しいです。
でもね、『その時期』はやっぱり苦しいし辛いんでですよね(-_-;)
そんな時、誰かの『その時』を聞いていたら、少しだけでも、もうひと頑張りできるような、そんな気持ちになれたりするんじゃないかなって思うんです。
私の体験がどなたかの辛いときに少しでも寄り添えることを願って、綴っていきたいと思います。
後になると、親の終活が経験となり自身や大切な人の終活の教科書となっていることに気づくものです。



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